支えあいのがんケアを、
聞くこと、対話することから始める。

月刊社会保険誌で「がんを治療する人のウェルビーイングを支えるために」というタイトル・シリーズが、弊社と関連するNPO法人キャンサーリボンズによって1年間連載されていました。弊社会長の岡山慶子と医師・大野真司氏が対談され、その話が最終回(2025年4月号)に掲載されました。

 

大野真司氏 プロフイール

  • 医療法人博愛会相良病院院長 
  • 医療法人財団足立乳腺クリニック統括院長 
  • 医療法人札幌ことに乳腺クリニック統括院長
  • がん研究会有明病院元副院長・元乳腺センター長

医療は、患者さんの言葉を聞くことから始まる

私は精神科の医師ではありませんが、以前からこころというものが気になっていました。それは、九州がんセンターの初代院長が残された「病む人の気持ちを」という言葉と、東京慈恵医科大をつくった高木兼寛(たかきかねひろ)先生の「病気を診ずして病人を診よ」という言葉が常に私のこころの内にあったからです。

そこに大きな影響を与えてくれたのが河合隼雄(かわいはやお)先生の心理学の本です。そこでコミュニケーションというものを学びました。河合先生に接した不登校の子どもがお母さんに「あのおっちゃんはめっちゃ話が上手や。すごく理解できた。話が上手や」と。実際は、河合先生は話してはいません。聴いただけでした。子どもは自ら話すことによって頭の中で自分の伝えることが整理でき、すんなりと理解できたのだそうです。

それは医療にも当てはまることでした。患者さんと話している時に、医師がただ単に説明するだけでは患者さんのこころには残りません。話を聴くことが必要です。患者さんが自分で話しながら自分の道を見出していくことこそ、医療のコミュニケーション・スキルです。それをいかに私たち医師は学んできていないか考えさせられました。

「だから外来」から「なるほど外来」へ

乳がんの患者さんに病状を話した後、「いいですか?」と尋ねたら、30分も説明したのに「私、乳がんですか?」「手術、必要ですか?」「抗がん薬の治療、要りますか?」「すぐ入院しないといけませんか?」と話が全く頭に入っていないことも少なくありません。丁寧に説明したのに、思わず“だから”と言ってしまったことが多々ありました。私はそれを「だから外来」と名づけていました。

こんなにも理解してもらえないのは、説明が悪いのかと考えていましたが、ある乳がんの患者さんの診察の際にこんなことがありました。その人が「すぐ入院をしないといけませんか」と言ったので、思わず“だから”と言おうとしたのですが、その日に限って「どうしてですか?」と尋ねました。すると「今度、子どもの卒業式があってその後、入学式がある」と言われました。その時のショックはいまだに忘れられません。

私が一生懸命に説明していた時、患者さんは子どものことを考えていたのです。そこで、私が話していることを書き出してみると、「乳がんで治るためには」とか「再発してはいけないので」「リンパ節転移があったら」、「抗がん薬治療をするかは後で考えて」など、そんなことばかり言っています。それを文字にすれば「再発、リンパ節転移、抗がん薬、命」といった言葉が並んでいるだけでした。

ところが患者さんは、説明の間ずっと、自分の仕事や家庭など別の気になることを考えていたわけです。患者さんの頭には怖い言葉だけが残っていることに気がつきました。「頭、真っ白になりました」と言われましたが、頭を真っ白にさせていたのは私だったのです。それは2001年のことです。以来、乳がんという言葉を最初から言うことはしないようにしました。

「この前の診断では組織の結果はよくなかった(not good)」と言って1分ほど黙っていると、患者さんは「よくなかった」ということを頭のなかで考えて、がんという言葉に自分で行き着きます。悪性でお乳にしこりがあるから乳がんだと自ら頭の整理ができます。 

すると、乳がんという言葉を正面から受け入れることができるのではないかと思います。そこから表情が変わります。その時に最初に知りたいことが何かを尋ねると、「助かりますか」、「乳房を残せますか」、「抗がん薬は要りますか」と聞かれます。そこですぐに「答える」のではなく「どうしてですか」とまた尋ねると、ご本人の思いや背景などを話してくれ、私は患者さんが質問された意味をなるほどと納得し、質問に対して「応える」ことができます。それで私のいままでの「だから外来」が「なるほど外来」と名前が変わりました。

そこには、こころというものがありました。「聞く」と「聴く」、「答える」と「応える」の違いを少し知ったように思いました。

病気を診る前に、人を診る

私はいま、多くのセカンド・オピニオン外来をしています。病気や治療について説明するだけなら難しくはありません。しかし患者さんがよく理解・納得し、セカンドオニオンをうけてよかったと思っていただくには、患者さんの思いを知り、その思いに応える説明が必要で、それは患者さんの話を聴くことなしにはできません。それを繰り返しながら診療する中で、こころというものは結局、病気を診る前に人を診なければならないということに思い至ったわけです。その上で、病気を持った患者さんとして診ていくと、その人は自身のことを自ら理解し、それで自分がどうしたいのか、どんな治療を受けたいのかに行き着きます。

すべてのがんの中で最もメンタルに障害が起こるのは頭頚(とうけい)部のがんと言われていますが、乳がんの場合は1/4ほどの人が適応障害や軽い鬱(うつ)になり、それが元に戻るのに1年くらいかかるというデータがあります。さらに再発乳がんでは4割にもなります。医療者は、まずこのことを知っておかないといけません。患者さんのこころの状態を知ることが前提にないと、私の「だから外来」のように、泳げない人に無理やり泳げと言って、余計に溺れさせてしまうことになります。

また、患者さんにとっては医療者との関係は大事ですが、それだけでなく家族や友人などいろいろな支えがあってこそ、次第にこころが平常に戻っていけると思います。

ただし、家族は第二の患者ということも忘れてはなりません。例えば、一般的に男性ががんになった時には、奥さんは「私、頑張るから」と励まします。ところが、女性ががんになると男性は落ち込んでしまうことが多いです。パートナーが乳がんに罹患した場合、男性は1/4、つまり患者さんご本人と同じくらいの割合で心理的障害を受けるという報告があります。がんという病気に適応できない、これも一種の適応障害というものです。

医療者だけでなく、皆で支えあえる社会へ

私は九州がんセンターやがん研究会有明病院にいた時から、Cure(キュア)だけでなく、Care(ケア)にもっと力を入れないといけないと考え、チームで院内の仕組みづくりに取り組んできました。今もたくさんの仲間が病気を治すCureと同じくらい、こころや生活のCareを行っています。また昨年の春からは認定NPO法人乳房健康研究会の理事長として、社会の中での活動に力をいれています。当研究会には「ピンクリボンアドバイザー」という、早期発見の啓発やQOL(生活の質)支援に関わる人を育てる事業があり、およそ2万人のピンクリボンアドバイザーが活躍しています。

社会がもっとがんケアを担えるようになるために必要なのは、医療者に限らず、一人でも多くの人が、がんのこと、がん治療のこと、がん治療中の生活のことを知り、支えあいのネットワークに参加できる仕組みをつくること、そしてそれを文化にしていくことだと思います。

支えあいネットワーク=がんケアの社会化の中で、
ウェルビーイングを一緒に見つける


岡山慶子(株式会社朝日エル会長・NPO法人キャンサーリボンズ副理事)

本シリーズでは医療の現場で活躍している方々から多くの貴重な知見をいただきました。がん患者さんのこころという観点で、大野先生はウェルビーイングについて次のようにも語られました。

「病気になっても、逆境にあってもウェルビーイングはある。ビーイングというのは、それをどう受け止めて感じているかというこころだと思う。」そしてまた、「悩みがあった時に相談する人がいる、支える、もしくは支えあう人がいる。自分だけではウェルビーイングにはなれない。」と。これらの言葉はキャンサーリボンズの実践とも深くつながり、大きな力をいただいた思いです。

さて、NPO法人キャンサーリボンズの「こころのケア」の礎となっているのは、故・丸田俊彦先生(35年間、米国メイヨー・クリニックで精神腫瘍医として患者さんのCureとCareに従事)をスーパーバイザーとして2009年にスタートした「グループカウンセリング」です。

そしてそこから新たなプロジェクトが生まれました。グループカウンセリングのスーパーバイザーと参加者として出会った、精神腫瘍医の清水研さんとピアニストの米田真希子さんによるコンサートです。昨年11月のコンサートで奏でられた協奏曲はふたりだけに留まらず、会場がひとつの大きな『情緒』に包まれました。言葉や思考も越え、これもまたキャンサーリボンズが大事にしている「アートとケアが対話する」瞬間ともなったのです。

 

キャンサーリボンズ
グループカウンセリングから生まれた演奏会

2024年11月16日 ピアニスト・米田真希子さんと精神腫瘍医・清水研さんの演奏会が行われました。


米田真希子さんと清水研さん

「音に導かれ、こころに出会う」

米田真希子さん(ピアニスト、乳がんサバイバー)

私にとってピアノを弾くことは、自分を知ること、自分の内なる声を聴くことです。当日は音に導かれてこころが叫ぶままに弾きました。弾き終えたときにはこころの底から涙が湧いてきました。振り返ると多くの方たちが泣いていました。悲しい涙というよりも清々しいような、そんな感情に満ちていました。

言葉で表せないものを絵が表し、それでも表せない世界を音が表すと聞いたことがあります。音は頭で考えることを取り払って、人のこころや細胞に直接語りかけます。清水先生の話を聞くことで考え、そして音楽を浴びることでこころの感情の風船に穴が開いて、その風船から感情がわっと放たれる。そしてそのままの自分を感じなら、その感情を言葉にしていく。そんな過程を経ることで新しい自分と出会っていく。多くの患者の支えになってきた「精神腫瘍医の清水研」としてではなく「人間、清水研」と、「ピアニストの米田真希子」ではなく「病気と共に生きる当事者の私、米田真希子」が奏でるからこそ、人間の弱さ、強さ、不安、葛藤もすべて曝け出されると思います。

これからも私たちの音の波が演奏を聴いていた方に伝わり、「なんだ、そのままでいいんだ」と自然と気持ちが緩み、体の中で何かが弾ける体験をしてほしい、様々な形での「対話」に加わっていただくようなことも試してみたい、と、思い描いています。

「バイオリンと私~全体的な自分になるために~」

清水研さん(がん研究会有明病院腫瘍精神科部長)

私の場合、カウンセリングや執筆では言語を通して自分を表現します。言語を通すと、冷静で、理性的になることが多いので、バイオリンを弾いている情緒的な自分に驚きます。演奏の中では、不安、悲しみ、喜び、ときに怒りなど、普段眠っている感情が沸き上がります。また、合奏の場合は、言語よりダイレクトに、ともに演奏した米田さんと感じていることを伝えあっていると感じます。

理性的と感情的な面、両方とも自分ですが、普段理性ばかりが表に出ているのは私にとってアンバランスなのかもしれません。バイオリンを弾くと、やっと全体的な自分になれるのです。全体的な自分であることはケアを行うためにも大切です。クライアントのことを理知的に理解するだけでなく、言葉では現れない感情にもセンサーが働くのです。

しかし、ケアといった限局的な場面だけでなく、全体的な自分になることは、豊かに生きるために誰にとっても必要なのだと、自分の体験から確信しています。