「栄養のあるまちⓇ」とは
~健康寿命の延伸とウエルビーングなまちづくり~①

中村丁次さん(一般財団法人日本栄養実践科学戦略機構(NUPS)代表理事理事長)
栄養と健康な食事
「栄養」とは、呼吸、摂食、消化・吸収、排泄、運動、成長、繁殖などの生命活動を維持して、健康的な生活を送るために必要な物質を飲食から摂取し、これを利用し、不要なものを排泄している状態を言います。そして、この営みを司っている物資を栄養素と言います。18世紀、ヨーロッパに誕生した栄養学は、栄養素の発見と働き、さらに合理的な摂取方法を科学的に解明してきました。今日までに、人類は、生命のエネルギーを産生するタンパク質、脂質、炭水化物と、人体の構成成分や代謝の調整成分となるビタミン、ミネラルの5つのグループと約40種類の栄養素を発見しています。
さらに、栄養学は、全ての栄養素を科学的論拠に基づき合理的に摂取すれば生命と生活をより良い状態にすることができること、逆に、これらが過不足になれば栄養不良に陥って健康状態は悪化、長期に及べば病気となり、最後は死に至ることも明らかにしてきました。。つまり、人は、誰でも、どのような状態に置かれても、栄養状態を改善することが何よりも大切で、このことにより人々は命を輝かせ、幸福感を感じながら生活ができる可能性を知ったのです。しかも、その方法は日常の食生活の改善なので、少しばかりの知識と実践する勇気を持てば誰でも安価に実行することができます。
「健康な食事」にアクセスできる「栄養のあるまち」
「栄養のあるまち」とは、これらの栄養素そのものが存在している「まち」ではありません。栄養素は、日常に摂取する飲食物に含有されて目に見えないので、適正な栄養素の摂取には、適正な食物選択と、これらを合理的に摂取できる調理や献立が必要になり、具体的にはこれらが総合的に配慮された「健康な食事」にアクセスできることが重要になります。
「栄養のあるまち」とは、結局、このような栄養の理念をもとに創造された「健康な食事」に誰でもが容易にアクセスできるように工夫された「まち」を言います。

中村丁次さんの著書
「栄養のあるまち」で実現する」健康な食事」の原則
2024年10月24日、FAOとWHOは、近年、世界中で報告された多くの論文をもとに「健康な食事とは何か」の共同声明を発表しました。声明文によると「健康な食事」は、「十分」、「バランス」、「適度」、さらに「多様性」の4つの原則から成り立っています。
「十分」とは、全ての栄養素が十分に摂取できることであり、欠乏や過剰の状態にならない食事です。
「バランス」とは摂取エネルギーと消費エネルギーのバランスが取れて肥満とやせが存在しないことであり、さらにエネルギー産生栄養素であるタンパク質、脂質、炭水化物が適正なバランスに維持されていることです(図)。つまり、このまちに住めば、適度な運動と摂取エネルギーの調整が容易で、健康的な体型が維持できるように整備がされているということです。

「適度」とは、食塩、糖類、動物性脂肪の摂取量が過度にならないように摂取することと、現在不足傾向にある食物繊維を適度に摂取することです。
さらに「健康な食事」で重要な要因になるのが「多様性」です。それぞれの食品は、地球上に存在する動物と植物であり、これらは人間に栄養素を提供しますが、その内容は人間の健康を維持するのに都合よく含有されていません。健康を意識して特定な食品への依存度が高くなればなるほど栄養のバランスは悪くなり、健康な食事から遠ざかってしまうのです。だからこそ、食事を構成する段階(食品、料理、さらに献立や食事パターンなど)のいずれにおいても多様な選択が必要です。それによって「健康な食事」へのアクセスが容易になります。
できる限り偏食をなくして、多種多様な食品や調理法を選択すればするほど、栄養欠乏症のみならず非感染性疾患(生活習慣病)の発症率も死亡率も低下させることが報告されています。しかも、多様な食品選択は、食材となる動物と植物の生物多様性を維持することにも貢献できます。

国際会議においてジャパン・ニュートリションを発信。世界からの注目度も高い。
※次号では、より具体的な「栄養のあるまちづくり」として、「都市農村一体体化構想」を紹介する予定です。
サステイナブル・シティとの出会いが
「栄養のあるまちⓇ」に行き着いた。

岡山慶子(株式会社朝日エル会長、一般財団法人日本栄養実践科学戦略機構評議員)
まちを健康にするサステイナブル・シティ
25年前になりますが、私は米国でサステイナビリティを実践している町に出会いました。このときに、私は “まち”というひとつの社会的な集合体がサステイナブルな志向で存在しているということを知りました。それがサステイナブル・シティです。
当時の日本では、環境問題の意識が強く、サステイナブルという、環境―経済―社会(人間の幸福)が循環する持続可能な社会の観点には行きついていなかったように思います。それが“まち”というレベルで実現されていたことは大きな発見でした。
そのひとつがイリノイ州の小さな町ザイオンです。ここには、がん治療の専門病院があり、治療の中心に「食」を位置付けていました。栄養士がすべての専門職をつなぐ役割を担い、綿密な栄養コンサルティングを実施し、退院後もニュートリションセンターや外来で栄養指導をするなど栄養面に力を入れていました。
加えて病院だけで完結するのではなく、町に飛び出してショッピングセンターの中に栄養士のデスクを置き、栄養相談をしていたのです。この病院では、建物やマネジメントなどのあり方はもちろん、ここで働くすべての職種の人、さらには患者さんや市民にもサステイナブルという考えが行き渡っていたように思えます。
病院が発信する「Enjoy」というメッセージ
また、米国でも有名なシカゴのノースウェスタン記念病院では、私が訪れた時はキャンペーン期間だったのか、「Enjoy Your Health」というスローガンが掲げられ、それが病院の外にも溢れていました。私は病院でEnjoy(エンジョイ)という言葉に出会った驚きは忘れられません。健康とは何かという思いが心に広がっていったのを覚えています。「Enjoy Your Health」は、病院から町中にメッセージとして発信されていたのです。
この病院には世界中から医師や患者さんが集まってきています。人それぞれの生い立ちから食歴などを考慮して、世界各国のさまざまな料理が作られていました。Enjoyを「食」でも実践していたと言ってもいいでしょう。「食と栄養」を大切にすることを通して、Enjoyがサステイナビリティとつながっていることに気づかされました。
「食」のチカラは可能性に満ちている
ヘルスケア・ヴィレッジの町として知られているミシガン州グランドラピッズのギルダーズクラブにも触れておきます。がん患者さんを支える組織やプログラム、ハードとソフトの両面が充実していました。「食」を大事にし、畑や倉庫のような大きな冷蔵庫、広い厨房があり、誰もがそこで料理ができるようになっていました。地元の資産家や企業からの食品の提供もありました。患者さんが家族や友人と賑やかに食事する様子を見たのですが、「食」が人に喜びを与え、みんなで楽しさを共有するところに幸せが生まれるという場面を目の当たりにしました。
私は米国のサステイナブル・シティに触れることで、環境、経済、社会(人間の幸福)が三位一体であることを知りました。「食と栄養」が作り出すまちの空気が、どれほど幸せに満ちているかを実感できたのです。そこでは誰もが「食」のチカラを信じていたように思います。「栄養のあるまちⓇ」プロジェクトが正式にスタートし、イノベーションを起こし、幸福の実現へのつながることを楽しみにしています。

ギルダーズクラブの患者・家族用の簡易キッチン
