「都市農村一体化構想」と「栄養のあるまちⓇ」

中村丁次さん(一般財団法人日本栄養実践科学戦略機構(NUPS)代表理事理事長)
栄養の原則を基盤にした農村と都市の一体化
2030年には、世界中で約6億人が慢性的栄養不足に陥ると予想され、この値は、COVID-19やウクライナ戦争が起こらなかった場合に比べて約2300万人増加することになります。一方、今後も、都市人口と都市の拡大は増加し、2050年には10人のうち7人が都市に住むことが予測されています。農村における道路や通信インフラの改善により、農村と都市との区別があいまいになり、新興都市の住民の多くは都市周辺部に住居し、農村と都市の中間帯が拡大することが予測されます。
農村と都市を分離させて、都市の集中化と農村の過疎化を解決するために行われている現在の農村への移住政策は長期的に見ると限界性があります。農村への移住は、移住者に経済効率の低い農業を強いることになり、持続可能性は低く、便利な都市に戻ってくるケースも増大しつつあります。つまり、これからは、拡大しつつある都市と農村の中間地帯を拡大して、分離させるのではなく「都市農村一体化構想」を勧めるべきであると思っています。
そして、その具体化が「栄養のあるまち」づくりです。その理由は、農村で生産される食料とそれらを消費している都市生活者に共通しているのは栄養の理念であり、これらを一体化させる原則になるからです。栄養の原則を基盤にした農村と都市の一体化は、それぞれがもつ優れた機能を融合させる事が可能になります。つまり、安全で安心できる食料の生産、加工、流通、販売を推進し、さらに人々の消費、料理、喫食、消化・吸収、代謝、活動を促進して、その結果、健康で幸せと長寿が保証されるまちづくりが可能になるからです。
このまちづくりが成功する重要なポイントは、住民は都市生活者であると同時に食料生産者であることにあります。本格的な農民になることは困難であるが、限りなく農業に近い家庭菜園をすることは可能です。日本の高度経済成長を支えた豊かな農村の姿がありました。それは「兼業農家」の存在です。当時、多くの企業が農地を開発して工場を建設し、農家の人々が近くの工場で働きながら休日を農業に充てていました。食料を自給しながら現金が得られたので、農家は豊かな生活が享受できたのです。
農業の生産力を備えた都市機能
今回の「都市農村一体構想」は、兼業農家とは、逆な構想で都市生活者が農業を兼業することになります。企業は、残業からの解放や週休3日制度の導入などにより副業が可能になっています。
一方、農業は機械化、IT化やロボット化により、従来の重労働から解放されつつあります。都市生活者が趣味で家庭菜園を行うのではなく、限りなく本格的に野菜、果物、花を栽培して農業化を図り、地産地消と地域での食料自給率を高めることです。都市生活者の農業化は、運動不足の解消になると同時に退職後の収入源としても期待できます。従って「栄養のあるまち」には、住居の周辺に農業用地や農業公園があり、それらを販売する市場やスーパーマーケット、さらにこれらを活用する調理教室や健康な食事を推進する講習会が開催されることになります。レストランや食堂には地元の生産物のメニューであふれ、各家庭には自分達で栽培した花が飾ってあります。個別の健康・栄養相談は、地域の「栄養ケア・ステーション」の管理栄養士・栄養士が担当し、在宅訪問栄養食事指導や宅配食業者との連携も図ることができます。
このまちには、IYやAI、さらにロボット等の最先端技術が活用され、最先端の情報や技術を身近に体現でき、誰一人取り残さず、誰もがいつでも学ことができる環境づくりがあります。さらに、地方行政と連携して政府が進める「自然に健康になる食環境づくり」と連携し、保健、医療、福祉の包括ケアシステムにも参画できる機能を持つことになります。
このまちは、「健康な食事」が保証されるばかりではなく、気候変動や国際緊張により不安定になりつつある食料安全保障に対しても強靭な環境づくりを目指します。つまり、このまちは、将来、「世界一、安全で、安心で、健康で幸せな長寿が保障されるまち」として、紹介されることを目指すということになります。
つながりと広がりをつくりだす
「栄養のあるまち」プロジェクト

岸田健志さん(プライムライフテクノロジーズ株式会社 技術企画推進部サービス企画開発室)
「栄養」×「まち」のはじまり
私がこのプロジェクトの話を聞いたのは2024年4月のことでした。その時、「栄養のあるまち」という言葉を耳にして感じたのは明るく快活なイメージです。「栄養」と「まち」という言葉は普段でも使う当たり前の日本語ですが、文字にして書いてみると、その二つの言葉が繋がることによって、大きな広がりが生まれ、たくさんの可能性が想像できました。優しさが響き合う、とてもパワーのある言葉だと思ったことを覚えています。
そこで私は「栄養」についての本を読んだり、日本栄養実践科学戦略機構の中村丁次理事長はじめ、いろいろな方のお話を聞いたりと、まず栄養学を学ぶことからはじめました。このプロジェクトに取り組まれている皆さんと議論を重ねたことも自分の知見を広めることに役立ちました。
そして、最初の行動を起こしました。それが、2024年1月から11月にかけて土・日曜日の9日間、大阪府吹田市のSuita SST交流公園で大阪府栄養士会の方々と一緒に「自分の栄養を知る」というテーマで実施した実証実験です。これからプロジェクトを進めていくうえでの検証を高めるという目的でしたが、その際にも実際に地域で活動されている栄養士会の方々、そして管理栄養士の皆さまと一緒に活動することで、私なりに具体的な課題やテーマを吸収することができました。
活動してみて感じたのは「栄養のあるまち」はひとつひとつの課題を解決していくことで、新たな価値を生み出していくに違いないという大きな期待感です。隣接するスーパーマーケットや近隣の企業の方々にも好意的に受け取られ、多大な協力をいただきました。
また、ここで印象深かったのは、管理栄養士の皆さんの知識とコミュニケーション能力の高さです。実証実験に参加した市民はお子さんから高齢者までさまざまな世代でしたが、それぞれの世代に合わせた対応には感服するばかりでした。栄養士さんたちとの対話を聞いて、一人ひとりに個々の「栄養」があり、それを自分で認識することの大切さをつくづく考えさせられました。
そして私自身、参加されていた方と直接会話する中でも多くの知識をいだだきました。特に考えさせられたのは、障害を持ったお子さんのお母さんが話された災害時の避難所のことでした。このお子さんは普通の食事ができません。日頃は食べ物をとろみ汁にして摂取しているということでした。「少しの“とろみ”があれば、うちの子は生きられます。でも、避難所ではパンとかおにぎりとか水などの非常食はあっても“とろみ”を手に入れることは難しい」というお話をされました。そんな避難所における具体的なシチュエーションは容易に想像できました。避難所にはいろいろな人がいます。食べ物が喉につかえるというのは高齢者の嚥下障害にも当てはまることです。“とろみ”をつけるスティックなどもあるとお聞きしました。栄養の多様性も考えなければならないという気づきを与えていただいた貴重な体験でした。
「実証実験」を通して、ますます高まった栄養への期待

今回の実証実験で目立ったのは、公園に隣接しているスーパーマーケットの売り上げと客数が上がったこと(注)と、さまざまな年齢の男性が栄養に興味を持って参加されていたことです。
(注)栄養のあるまちの⒉日間の開催時に前年比で客数が110%、売上が106%
そして、「栄養食事相談」に子ども向けのクイズを取り入れたり、食育SATシステムⓇによる数値を提示した「見える化」を基にしたアドバイスをプラスすることで、参加意欲を高めるとともに、栄養の必要性をスムーズに理解していただけました。
(注)フードモデルを選んでセンサーに乗せるだけで、栄養価計算とその食事バランスがチェックできる。
栄養は男女年齢を問わず全世代共通のテーマです。ご家族、独り暮らしの方、ご高齢の方、友人同士、成長期のお子さん、それぞれに多様な組み合わせで対応できるはずです。
そこで私が声を大にしてお伝えしたいのが、管理栄養士さんによる具体的アドバイスが得られる「栄養ケア・ステーション」の必要性です。栄養の助言や指導を受ける場所が身近なコミュニティにあれば誰もが気軽に相談できます。この「実証実験」を通して、そんな理想を思い描くこともできました。
確かに「栄養のあるまち」の実現ははるか遠くにあります。まだフェーズ1といったところでしょう。そして、その過程には多くのクエスチョンがあります。私はその疑問や問題提起こそ、このプロジェクトのこれからの可能性を広げていくことになるという確かな希望を持っています。

開催告知のチラシ
