第二話「ゆりかごからゆりかごへ」

言葉には、どこにもないもの、見えないもの、誰も見たことがないもの、そういう類のものがあるというようなことをある詩人がエッセイで書いていた。例えば、社会。その言葉は誰もが知っているが、「これが社会だ」と具体的に示すことはできない。誰もが理解しているようだが、それぞれが違った像を思い描いている。

では、「サステナブル社会」はどうだろうか。理念やスローガンとして語られるだけの言葉なのか。それとも、私たちのビジネスのあり方や日々の選択を具体的に方向づける実践の指標になり得るのか。言葉を掲げるだけでなく、手の届く行動へとつなげていくことができるだろうか。

私は2000年頃、アメリカ・ミシガン州グランドラピッツで行政、教育、企業、病院、、、、そして市民の全員参加でサステナブル社会の実現を目指すプロジェクトに出会った。それをサポートしてくれたひとりの日本人がいる。その人は、当時アクイナス大学の経済学部准教授だった山崎正人氏(故人)だ。

彼は慶應義塾大学法学部を卒業後、渡米しThe Fletcher School of Law and Diplomacy修了(MA(国際関係論))、デューク大学で経済学のPh.D.を取得。日本経済史、国際経済を専門にして、サーキュラーエコノミーの考え方であるCradle to Cradleの考え方を普及するために日米両国でさまざまなプロジェクトに取り組んでいた。日本とアメリカを定期的に行き来していた彼とは、帰国の度に私とサステナビリティについて話し合った。

私は、急速な産業化を進めてきた日本でサステナブル社会の実現は可能かと尋ねたことがある。彼は、日本人の特質というものを挙げた。日本人は集団の中で心遣いと思いやりがあり、それが茶道や俳句など日本独特の文化を生み出した。どんなに欧米化による産業が進んでも、日本人には受け継がれてきた文化が感性となり、しっかりと残っている。例えば、日本人は「江戸しぐさ」に見られるように相手に対する配慮というものがある。それは、人が人を思う共生のマナーというべきものであろう。また、歴史的あるいは、地域で大事にしている感性や価値観がある。例えば、私の故郷である三重県松阪市には本居宣長が残した(注)もののあはれがある。私はサステナビリティの概念に出会った時、すぐにその言葉が思い浮かんだ。これこそ大事なメッセージではないか。理想ではなく選び取るべき指針である。

サステナブル・ビジネスの考え方や実践のバイブルとなっている書籍に『Cradle to Cradle』がある。山崎氏より著者とともに、この本を紹介された。『Cradle to Cradle』は、建築家のウィリアム・マグダナーと環境科学者マイケル・ブランガードが主張する新しい生き方であり、“ものづくり”の革命を説いている。2002年にアメリカで出版されて以来、世界中で読まれていたが、日本ではまだ出版されていなかった。私は中国北京の書店でその本に出会い、ぜひ日本で出版したいと願った。『Cradle to Cradle』は、地球を主体に自然の営みの中にある人間の活動を“ものづくり”という技術の視点で著している。世界中の識者が単なる“ものづくり”を超えた人間の生き方の指針を示していると評価されていた。

ウィリアム・マグダナーは幼少期を日本で過ごし、日本家屋のふすまや障子、畳に見られる暮らしの知恵こそが“Cradle to Cradle”の思想を体現していると述べている。さらに、太陽光エネルギーを重視し、自然の恵みを生活に取り入れていたと評価し、江戸時代をサステナブルな社会の一つのモデルとして位置づけている。

日本は明治維新からヨーロッパの産業革命の影響を受けてきたが、日本人が慣れ親しんできた日本文化がいかにサステナビリティに即したものであったかを見直すことが大切だと私は痛感した。共通した歴史や過去の体験があるからこそ、未来に向かってサステナブルな社会の実現に向かっていけるのではないだろうか。「Cradle to Cradle~ゆりかごからゆりかごへ」という循環の発想がきちんと共有されれば、サステナブルな社会は理念ではなく、選び取るべき実践となる。

「日本サステナブル号」にもっと多くの人に乗ってきてもらいたい、そんな思いがますます強まって行った。

末筆ではありますが、故・山崎正人氏に感謝と哀悼の意を表します。

注)もののあはれ
“もののあはれ”は、物事や自然、人の心の移ろいに触れたときに感じる、しみじみとした深い感動や共感の心を指す。日本独自の文学的・美的理念である。折しも2030年、本居宣長生誕300年を迎える。